自作言語/RYTHGRAM(1)_発想と構想
山本です。東京藝術大学デザイン科4年です。
本日まで開催されていた、第67回 東京藝術大学 卒業•修了作品展(以下卒展)において、「RHYTHGRAM」という作品を展示していました。
ちょうど作品の搬出も終わり、ひと段落ついたところなので、この機にこれまで作ってきた暗号や言語についてまとめようと思い、サイトを立ち上げました。
ひとまず、件のRHYTHGRAMについての記事を、ざっと3、4回かけてまとめようと思います。
今回はRHYTHGRAMのまとめ第1回です。内容は以下です。
(1)RHYTHGRAMとは何か
(2)RHYTHGRAMの発想と構想
(3)プロトタイプとしての「ハナウタ言葉」・「象音言語」
なお、第2回ではネパールの少数民族•ラウテ族のもとで行った調査についてを、第3回ではRHYTHGRAMができるまでの細かな過程を書く予定です。
(1)RHYTHGRAMとは何か
RHYTHGRAMは私が作った言語です。「リズグラム」と読みます。
RHYTHGRAMは、目で見て耳で聞く言葉です。手を使ってモノを叩くことで発話できます。つまり、手のどの部位を使ってモノを叩いたかを見て、どのように何回叩いたかを聞くことで、メッセージを読み取ることができるという言語です。何も知らない人からは単にリズムを刻んでいるように見えるので、さりげなく発話できます。
詳しい説明は後々(第3回あたりに)書く予定なので、現時点でのRHYTHGRAMに関する理解は「リズムをとることで会話が可能な言語」といったイメージだけでおよそ十分です。
(2)RHYTHGRAMの発想と構想
初めに、卒制で何か言語を作ろうと考えていた時、「音楽することと言語の融合」をできないだろうか、とパッと思いつきました。世の中には太鼓の音色で会話をする人、口笛で会話をする人なんかもいるし、言語のはじまりは歌だったなんていう説もあることなので、卒制のテーマにうってつけなワクワクする課題だとその時は感じました。
では具体的に、どのように音楽することと言語を融合させるのか?
方法やそうする意義を考えている、過去の私のノートを抜粋して以下に載せます。読むのが面倒な方は、読み飛ばしてもらって結構です。
『いきものの生活のなかで共通する、普遍的な音とは。
ものやことに付随する「音」の平均値を抽出し、それを体系化し言葉にすれば、「感じられる言葉」を作ることができるのではないか?そうして発した言葉を聞いた人間は、それをどのように解釈する?音楽として?言葉として?音として?
音楽は国境を越えるらしい。言語は国境を越えないのだろうか。音楽で構成された言語はどのように解釈されるのだろうか。音楽が国境を越える場面は限られる。文化の差があるとどうも越えがたいようだ(ネットにより国境も文化もある程度溶け合った今ならやすやすと越える?)。言語を扱うにしても、音楽(というか楽曲)を扱うにしても共通理解が必要。その点、音そのものを感じるためのハードルは低い?音の普遍性はある程度あるのでは?
そもそも音楽ってなんだろう。リズムやメロディ、ハーモ二ーの組み合わせを音楽と呼ぶのか?それとも人工的に構成された音の連なりを?有名なミュージシャンの演奏を「音楽」だとする人間も、電車の走る音や救急車のサイレンは「音楽」ではないと言う。私は電車に揺られながら電車の周囲にある音を聞き、心地よく思うし、救急車のサイレンを聞き焦燥感を覚える。単なる音に感動することも、「音楽をする」という行為の一環では?
なにかの音に心を揺さぶられる時、私はその「事柄にまつわる音」に無意識下で焦点をあて体験している。「どの音に意識を向けるか」は生活のなかで培われる。知覚をどのように発達させるかによって、その人の音楽の聴き方が決定されたり、好む音楽が限定される。
日々のサウンドスケープを観察し「日常の音楽」を意識的に聴いてみること、普段意識している音・していない音を自覚することで、私にとっての「音楽」が少しでも見えるはずだ。
日々の生活は「音楽を聴く耳」を培い、「音楽を作り出す脳みそ」をコネコネし、「音楽を演奏するための身体」をつくる。』
今読み返すと、何を言っているかあんまり理解できません。ちょっと解説します。
まず私は、音楽と言語を融合させるためには、いきものの生活のなかで共通する普遍的な音を見つけることが鍵だ、と漠然と考えました。普遍的な音とは、動作に付随する音やそのもの自体にまつわる音の平均値のことを指しています(そんなものがあるかどうかは別にして)。
音の平均値を体系化するというのは、例えば「(人が)歩く」という意味の言葉を作りたいとすれば、人が歩く音を沢山サンプリングし、音の聞こえ方やらリズムやらをデータとしてまとめて、その平均した音やリズムのまとまりに「歩く」という意味をつける、ということです。
ノートの後半には音楽について書かれています(解読不能)。
音楽は、言葉の通じない同士でも、ある程度一緒に楽しむことができます。そう言う風に、意味のわからない音の連なり(知らない言語)だけれども、ちょっと聞いていると「これは雨の音に似ているな」だとか「これは犬の鳴き声に聞こえる」というように、なんとなく意味を察せられる、感じられるような言語を作りたい、と考えたのでした。
この大それた構想は後々頓挫し、現在のRHYTHGRAMのかたち、つまりほとんど単なる手遊びのような言語を作ることになったのです。
(3)プロトタイプとしての「ハナウタ言葉」・「象音言語」
RHYTHGRAMは突然ぽんと完成したわけではなく、これを作る前に、プロトタイプとして2つの言語を作りました。「ハナウタ言葉」と「象音言語」です。ハナウタ言葉は鼻歌を歌うことで会話ができる言語で、象音言語は専用の楽器のようなものを奏でることで会話できる言語です。象音言語は、さきほど(2)で書いた構想の元に作った、音の平均値を体系化することで云々というコンセプトの言語です。どちらも単語や文法までは作り込んでおらず、コンセプトと最低限の規則などを決めて放置してあります。
ハナウタ言葉
象音言語
象音言語を作り終わった頃に、知人がネパールのラウテ族の元へ行くらしいという話を聞きつけ、私もその計画に参加することを決めました。(ラウテ族は遊動狩猟採集民族で、無文字社会を形成しています。興味深い。)
今回はここまでで終わりです。次回はネパールおよびラウテ族編です。
ご覧いただきありがとうございました。
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